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カズトモの詳しいプロフィール(ネットビジネス以前)

カズトモのアバター

 

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普通に小・中・高と進学するが、大学受験で失敗、浪人しました。
そして4回生の時に休学し、「ワーキングホリデー」という制度で
オーストラリアへ留学しました。

「ワーキングホリデー」とは、1年間のビザが許可され、
学校はもちろん、就労(バイト程度)もできるという、
海外を経験するには最高の方法です。

最初の数ヶ月はホームステイをしましたが、
その後はタイ人留学生とルームシェアをしていました。

このタイ人とのシェアが僕の人生を変えるきっかけだったとは、
当時思いもしなかったです・・・

その後、数ヶ月シドニーに滞在してから、僕はオーストラリア1周の旅に出ました。
これを「ラウンド」と言います。

各地でバイトしながら、長距離バス(!)に揺られながらの旅でした。

ホントに毎日が驚きと楽しさでいっぱいでしたね。
海外ってスゴく刺激的なんだって、心から感動しました。

約半年後、無事1周してシドニーに戻り、日本に帰国しました。
この1年間、色んな人と出会い、現在でも6人ほどですが常時連絡を取り合っています。

この時初めて、「海外で住んで働いてみたい!」という考えが生まれました。

そして復学し卒業。
海外関係の仕事をしたくなり、貿易会社へ入社を決めました。

卒業旅行はタイに行きましたね。
オーストラリアでルームシェアしてたタイ人に「おいでよ!」って言われたんで。

タイに行ってみたらハマりました。
雰囲気・人柄・お国柄・物価の安さ・・・

「なんて魅力的な国なんだ。こういう世界があったのか!?」と、
この時思ったのを覚えています。

帰国してから日本で働き始めましたが、海外生活への憧れが忘れられず、
忘れもしない1998年突然退社し、1年に及ぶ海外放浪の旅に出ました。

インド・ネパール・タイ・ラオス・中国・ベトナム・カンボジア・ミャンマーなど
アジアを放浪し、今まで居た日本では決して見えなかった事を色々知る機会となりました。

極限の貧困や格差社会・死と隣合わせの生活・切実な教育問題・
劣悪な衛生環境・低い倫理観・命の安さ・・・

それぞれの国で見たものは、新聞やTVでは知りえない事実でした。

しかし人々は、電化製品もろくになく、オシャレなどする余裕もない、
仕事だってほとんどない・・・

そんな生活環境でも逞しくしたたかで、
何より「生を楽しんでいる人」が多いことに驚きました。

そこで思ったんです。
「どこか新天地で、僕も本当の意味で人生をやり直し、生きていこう、楽しもう」と。

このインドやアジア放浪の旅は、
「自分が住むべき国・働く国を探していたんだ・・・」と思いましたね。

実は、この旅行の途中、
タイで1人の現地人女性と知り合う機会があったんです。

旅行中、手紙ですがずっと連絡していました。
数年後、妻となる女性です。

その後、僕は迷わずタイへ行き、部屋を借り、語学学校へ通い始めました。
そしてある程度理解できるようになったら、就職しました。

僕の場合、いわゆる「現地採用」であり、
現地採用の平均給与は4~6万バーツ(12万円~18万円)くらいが相場です。

この頃には例のタイ人女性と一緒に住んでおり、のち結婚しました。
ようやく、新天地で本当の人生が始まった瞬間でしたね。

それから2~3年は最高に幸せな時間でした。
給料は少ないし、贅沢はできませんでしたが、公私とも充実し、「生」を感じていました。

「こういう生活が数十年、死ぬまで続いて行くんだ・・・」と、漠然と思っていました。

しかし、わすれもしない2004年。
些細なすれ違いが積み重なり、それが大きくなって行き、第3者の介入もあり、
別れる事になりました。

「別れる」ってあっけないものです。
日本人とタイ人だから・・・は関係ありません。

むしろ、他国人同士の方が、「この国の人は日本人とは違ってこう考えるんだ・・・」
と割り切れるんです。

結局、国籍なんて関係なく、1人の男と女の問題でした。

しかし、この別れは、僕の精神に非常なダメージを与えました。
いわゆる「ウツ」になったんです。

何もする気が起こらず、食べず、死ぬ事のみを考える・・・
同じアパートに僕の事を本当に心配してくれる友人がいなければ、
死んでたかも知れません。

何せ、睡眠薬飲んで大量に飲酒してましたから。
これってかなり「トリップ」できるんですよ・・・

結局、友人(達)の助けと、精神安定剤で危ない時期は脱しました。

この時の友人達には感謝してもしきれない位です。
「苦境に陥ったとき、助けてくれるのが本当の友人だ」と言うのは本当です。

こういう友人が2人いることに感謝します。
もちろん、今でもその関係は続いています。

次、その友人達に何かあった時は、お返しする番だと感じています。

しかし、復活したとは言うものの、「半アル中」というオマケも付いてきました。
精神的なダメージを酔いで紛らわせようとしたんですね。

毎日ビール大瓶2本飲んでから、ウイスキーやジン飲んでました。
40度以上のウイスキーやジン700ミリ位のボトルを、2日で空けてましたから。

「アル中の世界」に、膝まで浸かってましたね・・・

一応、ウツが収まると、再就職活動を始めました。
そして、運良く就職先が決まりました。
いわゆる「タイ企業」で、社長以下ほとんどタイ人でした。

日本人は営業サイドに僕1人、工場に1人、計2人のみでした。
取引先は日系企業・タイ企業・シンガポール企業・・・などでした。
この環境で、僕のタイ語は一気にビジネスレベルへ達したんです。

この後数年は、何事もなく無事に過ぎて行きました。
治りきってないウツを、酒で抑えているままでしたが・・・

しかし、何だかタイでの生活に今ひとつ満足しない気持ちを確信したのは
この頃でした。

その理由は、「現地採用」という身分に限界を感じていたんだと思います。

タイでは、現地採用は基本的に正規雇用されます。
しかし、みんな転職転職でステップアップして、給与をアップさせて行くのが現地採用なんです。

だからかなりキツイし、その不安定さは日本のバイトや派遣社員と同じなのが実情でした。
かと言って、タイでの就職・生活を後悔した事は1度もありません。

僕がやりたくてやった事だし、歳を取って死ぬ間際に、
「あの時やっておけばよかった・・・」と後悔したくなかったからです。

とにかく、この時期、僕は現状や進退をどうするか、
かなり迷っている時期だったんだと思います。

そして、転機が訪れたのは2008年夏でした。

ビザ問題がこじれたのをきっかけに僕はアパートを引き払い、
日本へ引き上げてきました。

日本で再就職し、「駐在員」を目指す為にです。
普通の仕事の能力もあると思いましたし、タイ語も問題なく話せましたから
可能性はあると思ったんですね。

しかし、思いがけない事が起きました!
「リーマンショック」です。

今思えばありえないタイミングでした・・・、帰国後2ヶ月で起こるなんて・・・
リーマンショック後、日本の景気がどうなったか、お分かりですよね。

・世界規模の不景気。
・雇用の激減。
・失業者続出。(僕を含めて!)

僕に仕事はありませんでした。
欧米帰りならあったかも知れませんが、
アジアの、しかも「タイ帰り」には・・・バカにされるだけでした。

ホントに、この先がどうなるのか全く見えませんでした・・・
(その後、とりあえず食べて行くために何とか職を見つけましたが)

そのとき出会ったのが、ネットビジネスだったんです。

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